メンタルに効く?!アート(その2)

こんにちは。カウンセラーの内藤です。
高校時代、絵を描くことが好きな友人がいました。
デッサンには木炭を使い、消しゴムには賞味期限切れで廃棄される食パンを使っていました。
木炭で描いたものを、食パンで消したり調整し、また新しい線を描く。また少し消して、描く。そのうちに絵がだんだんとはっきりとしていくのでした。
試行錯誤しているうちに、一本の光る線が見つかるようなこともある…と話す時の彼女はうれしそうでした。

授業中には眠っていることが多い人でした。眠ると言っても、船をこいだり、机につっぷして…というのではありません。
背筋を伸ばし、まぶたをあけたまま白目を剥いて終始黒板を向き、時折、自分で自分の手をつねりながら、ノートにミミズのようなものを書いているのです。
その姿はちょっと不気味にも見え、そのせいか彼女が先生方から居眠りを注意されることはなかったようです。

彼女は家庭内で虐待を受けていたようでした。
けれども、固い職業のおうちで、彼女自身に居眠り以外の素行不良の気配はなく、当時は未だ子どもの虐待について先生の認識の薄い時代でした。
いま思えば、家での緊張が高く、夜、眠れず、家よりは安全な学校の授業時間に何とか聴こうとするのだけれど起きていられず、あの白目になっていたのではないかも考えられます。
美術系に進みたいと言う彼女に対して、専科の先生は太鼓判を押しました。けれども、ご家族は美術は芸大以外は駄目とのことで、彼女は美術の道を諦めました。
一刻も早く家を出て自立しなけば自分の心身が駄目になり、一生を立て直せないと考える彼女に、平均3.5浪と言われる芸大入学に賭けたり、待つ猶予はなかったようです。

彼女は絵や文章を書くことに比べ、その場での当意即妙な会話は得意ではありませんでした。
「そういう経験が足りてないから2倍3倍努力して訓練しないと!とにかくエクササイズ!」と、社会人になってからも懸命にトライしていました。

さて、子どもへの虐待は、子どもの心身の成長に影響を及ぼすことがありますが、その在り方は多様でひとくくりにはできません。
いつ頃どんな虐待を誰からどの程度の頻度と期間受けたか等の様々な因子で、ひとりひとりに違うように思われます。
そうした経験をした人の中には、言語でのやりとりが余り得意でなかったり、緊張する人もおられるようです。
描画、彫刻、工芸、音楽、また料理や手芸、園芸など広義でのアート、
その場での言語のやりとりに限定されない趣味やそれを取り入れた療法が、時により人によっては、生き延びる事に役立つのではないかと思うことがあります。

視覚、聴覚など五感の中でも普段から良く使う感覚がありますが、それ以外の、触覚、嗅覚なども含め、様々な身体感覚を使っての非言語での療法を修得、習熟したいと言う思いを新にする秋の夜長です。

書きながら、今も、うん十年前の当時の、木炭と少しすっぱい食パンのにおいが思い出されます。