愛は負けても、親切は勝つ

カウンセラーの鶴田です。
今回は某所で書いたネタの使いまわしになりますが、ご寛恕いただければ幸いです。

某所でのネタは“親切は役に立つ”というお話なのですが、「親切は体の健康にいい、親切は心の健康にもいい、なんと親切で仕事もはかどっちゃう!」というような見出しだったため、ちょっと見、眉唾ものだったかもしれません。

書き始めた時には、僕の好きな小説家の作品を紹介するつもりだったのに、気づくと色々と脱線していて、そのうえ、作品紹介の余地はなくなってしまいました。
まあ、それはいつものことで、だから時間がかかるのだと思いますが、おかげで当初思った以上に、親切の効能が理解できました。

たとえば…、

『2012年、イギリスのメンタルヘルス財団で、他者を助けると本人のメンタルヘルスと健康全般にメリットがあることが報告されました。
利他的な行為(≒親切)が自分自身のストレスを軽減して感情を健やかにし、さらに体の健康をもたらす可能性が見えてきたのです。
他者の手助けをすることで、脳内の生化学的変化が促進され、愛情ホルモンとして有名なオキシトシンの分泌で、幸福感につながります。
また、その効果は、一酸化窒素の放出を引き起こすため、血圧が下がり心臓の健康にも寄与するのです(いやあ、まさに“情けはひとのためならず”、ですねえ)』

とか、

『2018年、サセックス大学で“親切な行為”をしていた人、1000名以上を対象に脳細胞を調べる研究を実施しました。
脳内で何が起こるか、真の利他主義から行動した場合と戦略的な動機から行動した場合に分けて分析してみましたが、動機とは関係なく、ともに報酬を司る脳領域の活性化が認められたのです(恩を売ろうと思っても効能はある!ってことですね!)』

とかです。

あ、また脱線しちゃいましたが、本来はこの本を紹介したかったのです。

カート・ヴォネガット著『ジェイルバード』

カート・ヴォネガット著『ジェイルバード』

“親切”をテーマに文章を書かなければならないと思ったときに、僕が思い出したのが、この作品でした。

この本の冒頭で、ヴォネガットは「愛は負けても、親切は勝つ」と書いています。
そしてそれが「半生の著作の核心にあるただ一つの思想」だというのです。

ヴォネガットは、また、「人生の目的は、隣にいる人に親切にしてあげることだ」とも言っていました。

ヴォネガットの著作のほとんどで、不幸な運命に翻弄される人々が、それでもしっかりと生きていく姿が描かれています。そして登場人物の誰かが亡くなったと書く際にも、“そういうものだ(So it goes)”と、飄々と語ります。
どんな不幸があっても過去は変えられないし、受け入れるしかない、というようにも取れますが、それはきっととても大事なことで、自分の不幸を嘆くのに忙しい人は、なかなか他人に親切にはできないのではないでしょうか。

二次大戦中に捕虜となり、ドイツの収容所で味方の大空襲に遭う。
母の日に母親が自殺する。そういうものだ。
姉夫婦が一週間のうちに、病と事故で相次いで亡くなる。そういうものだ。

これらのあまり見ないような不幸はすべて、作品の登場人物ではなく、すべてヴォネガット自身の経験したものです。そんなヴォネガットが語るからこそ、“親切”の大事さ・強さを感じるのかもしれません。

最後に、ヴォネガットがドイツで遭ったドレスデン大空襲の経験を基にした作品『スローターハウス5』から、僕の好きな言葉(台詞ではなく、作中に出てくる登場人物の墓碑銘なのですが)を紹介して、締めくくりたいと思います。

「何もかもが美しく、傷つけるものはなかった」(伊藤典夫・訳)

この言葉を目にするたびに、世界が美しいということを思い出すし、
どんな辛い運命も、人の心を傷つけることはできないのだと、気づかせてくれます。

ヴォネガットの著作は、読み手が歳をとるほどに面白く、再読に耐える、とよく言いますが、新作が出ることは多分もうありません。2007年に亡くなったので。

“そういうものだ”