因果応報?自己責任?…公正世界という思い込み

変えられないものを静穏に受け入れる力を、

変えるべきものを変える勇気を、

そして両者を識別する叡智を与えたまえ。

(ニーバーの祈りより)

カウンセラーの内藤です。
今年も師走ですね。

2020年は、年初から未知の感染症により、刻一刻と変化する新しい日常への適応を求められる事態が続きました。
そんな今年、改めて考えさせられたのが「公正世界仮説(誤謬(ごびゅう)*)」です。
人の行いには公正な結果が帰ってくる、よい行いや努力には見合った結果が与えられ、悪い行いをすれば罰が当たるという様に、一見正しそうに見えて必ずしもそうでない思い込みのことです。  *誤謬とは間違いのこと。

現実には、幸不幸にシンプルな因果関係が成立するとは限りません。
けれども、いつ何が起こるか予測不能で不条理な世界と見るより、公正で秩序があり首尾一貫していると思う方が見通しを持てて、マシな気がしませんか。
この考え方は、自身も周囲もうまく機能していると感じられる限りは、自己効力感等が高まり、社会や個人のメンタルヘルスに良く作用する側面もあると言われます。

その一方で、思い込みに合わせ現実を歪めて見てしまうこともあり得ます。
昔から言われる「因果応報」、「前世の因縁」もその例で、納得しがたいことを受け入れざるを得ない時、役立ってきたのかもしれません。
とはいえ、この傾向は、病気や不幸な出来事、不遇な状況にある人を、公正世界仮説に沿うように解釈してしまい、責める思考や行為につながることがあります。
この思い込みが自らに向き、自己責任と限らないところまで引き受け、助けを求めず、自身を追い詰め、苦しい思いをされる方もいらっしゃいます。

例えば、病気に感染した人を、自己管理ができていなかったからと責める(中にはそういう人もいるかもしれませんが、とても気を付けていても、なる人はいるでしょう)…。
被災した人を、家族の業や本人の判断ミスがあったのではと考える…。
暴力や事件の被害者が、自分が悪かったからと自責し、周囲が自己責任を問う…。
介護など家族の為に仕事を辞めざるを得なくなり失職した人が、自分をダメな奴だと思い詰め、家から出られなくなる等など…。

先行き不安や怖れの中で、秩序や因果関係などの法則を見つけ、納得したい心情になるのは自然なことですが、焦って我を忘れると、誤謬は起こりやすくなるように思われます。
状況によって、誰にでも、こうした認知の偏りや思い込みが生じる可能性があると、頭の隅に留めておくことで、自他を追い込み過ぎない為のブレーキになるのではないでしょうか。

さて_。
いまここの身体に意識を向けると、目はしょぼしょぼ。寒さの中で背中が丸まっていました。

伸びをして、深呼吸して、窓の外の夜空を眺めてみます。
土鍋に、昆布を敷き、あり合わせのものを入れて鍋でも作りましょうか。
冬野菜も甘味を増して美味しいこの頃。青菜類もお手頃になっていますね。

皆さん、今晩は何を召し上がりますか?