ズレないのはなぜ?~体内時計の謎~

カウンセラーの内藤です。

人間には体内時計があります。
一日ずつの時計(サーカディアンリズム)は割と簡単にズレますが、修正は工夫できます。

年単位ではどうでしょうか。
例えば、季節性うつなど、日照時間や季節の影響を受けるとされる疾患はあり、メンタル不調になりがちな季節というのもありそうです。

では、人間以外の生物の体内時計はどうでしょう。
冬眠する熊や渡り鳥などの動物のみならず、四季を感じさせてくれる植物も、自然の中で生きる命は、人間以上(多分?)に精工で確かな体内時計をもっているのでは、と思われます。

私にとって、その体内時計の不思議を感じる代表は、曼殊沙華(彼岸花)でした。
見るたびに、なぜ、殆ど狂いなくお彼岸の時期に咲くのだろうと不思議に思ってきました。
同じ四季を彩る花でも、咲く時期のズレの少なさは、桜と大分違う感じがします。

桜の場合、開花が早い年には3月の卒業式の頃には満開となり、新入生を迎える頃には葉桜になっていたりします。年によってズレるのは当たり前です。

また、桜前線は温かな南国から段々と北国に移動していきますが、曼殊沙華は日本列島のどこでも同じ時期に咲くようです(そうでなければ彼岸花とは呼ばれませんものね)。

この違いはどこから来るのかなと考え、最初、日照時間かな…と思いました。
暑さ寒さや、曇りや雨、晴れがあっても、日の出日の入りの時間は変わらないから…と。

物知りの友人にそんな話をしてみたところ___。
「植物には、昼と夜の時間の差を感じとって花を咲かせる性質(光周性)を持つものもあるけど、彼岸花の場合、咲く時は地面に葉っぱも出てないし、土の中の球根からいきなり花芽が出て来るじゃない?
土の上に出ている部分がないと、光は感じにくいんじゃないかな。それともうっすら感じるのか、どうなのだろう?
気温じゃなくて、土の中の温度の変化を球根状態で感じてるってことかな。土の中は気温よりも温度変化少ないのかな。
あと、彼岸花は種ができず球根で増えてくから基本、周りはみんな同一遺伝子なんだよね。同じ遺伝子だと、咲く時期も近くなるんじゃない?」とかなんとか。

何十年も前の高校時代以降まともに理系の勉強をしたことがない私は、ふ~ん、凄い、そういうことがあるのか!と感じいって、その日の会話は終わりました。

でも、「待てよ、桜と比べて、開花時期のズレの少ない理由とか、まだ私の中で明確になってないじゃん…」と、後で気付きました(反応遅い!)。
詳細は依然、調べ中、肝心の?は宿題のままです(それも楽しみですが)。

ぼんやり頭の私がわかったのは、植物には昼夜の時間差を感じ取って花を咲かせる性質と、気温の変化を感じ取って咲かせる性質があること。
それを感じる部位や感じ方、仕組みは色々あって、複雑そうなこと。
そして、開花のメカニズムひとつとっても様々な、命のつなぎ方を含む遺伝子の謎の壮大さ。

地球上で、いまこの時、生き残っている命は全て、その長い歴史の中でしのぎを削り、進化を続けサバイバルしてきたもの。
その生存戦略は(体内時計も含め)、気の遠くなるような年月をかけて編まれた、なまなかなものではないということなのでしょう。

生きていくこと、命がつながり続ける事、その厳しさと奥深さ、そして粘り強さに、
畏敬の念を抱かずにはいられない、お彼岸過ぎの秋の夜です。