“だまされたい欲”について

こんにちは。カウンセラーの鶴田です。

子どもの頃から推理小説が大好きでして・・・。

昭和の子どもらしく、江戸川乱歩のジュブナイルから読み始めて、
小学校の図書室にある分を読み終わると、同じ出版社の怪盗紳士シリーズも全部読み、
ホームズはなんだか性に合わなかったので、ジュブナイルは卒業して、
定番のアガサ・クリスティー、エラリイ・クイーン、と、いわゆる本格推理ものを読むようになりました。

推理小説といっても色々ですが、いわゆる“謎とき”の要素に強く魅せられていたようで、
いかに早く犯人を当てるか、トリックを見抜くか、というパズルのような楽しみ方をしていました。

ただ、パズルと違い、意外なオチで作者にしてやられた時に「やられたー!」と思いつつも、満足をするのが、推理小説の醍醐味です。
逆に、自分の推理通りの犯人とオチだと、なんだか物足りない気すらします。

なんというか、「たのむからもっとうまくだましてくれ」というような気分です。

これは自分に“だまされたい、という欲求”があるからではないか、と密かに思っています。

似たようなものに、手品がありますね。
観客は、これから何が起こるのかと、わくわくしながら、演者の一挙手一投足に注意を向けますが、それでも大概は、思っているのと違う現象を、驚きとともに、目にします。

どちらのエンターテイメントも、受け手は騙されることを承知の上、というか、むしろうまく騙されることを楽しみにしているのではないかと思うのですが、どうでしょうか?

ちなみに僕の好きな推理作家に泡坂妻夫という方がいるのですが、この方、マジシャンでもあるのです。
気のせいか、読者の盲点をつくトリックが多いような気がします。
うまく騙されたい方は、是非どうぞ。

んでわ。

 

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