記憶について ~忘れられない、覚えられない、中々思うようにならない、記憶~(その1)

カウンセラーの内藤です。

試験勉強の丸暗記に苦労するのに、忘れたくても忘れられない事があったり、歳を重ねて物忘れが増えたり、中々思うようにならない「記憶」。

今回はそんな記憶についてのその1(のつもり…)です。

複雑な思いを抱きつつ眺めた今年のオリパラで、印象に残ったのが「難民」の人たちでした。

史上初めて、難民選手団の参加があり、パラと並行し、アフガニスタンで命の危険に晒されながら国から逃れられず残される人達の話が報道されています。

そういう状況に、忘れられない記憶が蘇ります。

 

かつて短期滞在していたロンドンから帰国することになり、名残惜しい気持ちで空港へ向かった時のことです。

特大のトランクと共にタクシーに乗り込むと、運転手さんがフレンドリーに話しかけてきました。

英語が得意ではない私ですが、彼もネイティブでないことは、わかりました。

「どこに行くの?日本人?帰るの?…東京?」と尋ねられ、

「ええ。まぁね。帰らなくちゃいけなくて、東京に。」と答えると、

「いいね!あなた、ふるさとに帰るんだね」と彼は笑顔を浮かべて、言いました。

「でもね、まだホントはこちらに居たい。東京は狭くてごちゃごちゃしてるし、ね。

…あなたは?どちらから?」と軽く尋ねると、

「ソマリア」

「……」

その答えに、ドキリとしたことを、相手に伝わらないよう息を殺しました。様々な事を一度に考えていました。

厳しい内戦状態にあることは、報道で知っていました。

「では、いま…大変な…」

「あなた、知ってるの?」

ミラー越しに目が合いました。

「ニュースや新聞で見たり、読んだり…それだけ…だけれど…」

ミラー越しにもう一度、私の顔を見た彼は、話し始めました。

ほんの少し前に戦火のソマリアから逃れてきたこと、精密機器の工場を兄弟とお父さんで経営していたこと、工場や家が焼け、お父さんが行方不明のままであること、お母さんとは数日前に電話で話したのが最後でとても心配しているが、その後、連絡がつかず安否を確認する手段がないこと…。

聞いている間に、自分がロンドンのタクシーの中ではなく、血や鉄の焼け焦げた臭いを嗅ぎ、砂埃のもうもう立ち込める瓦礫の中にいるような気がしました。

英国と、戦乱の中にあるアフリカ大陸の国の近さを感じました。

やがて車は空港に着きました。

彼は荷物用のカートを取ってきてトランクを載せてくれ、私が心ばかりのチップとともにタクシー代を払った後も、そのままカートを押し、空港のドアまで送ってくれました。

「気を付けて。無事で。良い旅を!」

「ありがとう。あなたも。どうか…無事で。」

扉越しに見送っていてくれた姿を覚えています。

一期一会の1時間にも満たない出来事にも関わらず、忘れられない記憶となりました。

特定の日時や場所と関連し長期記憶となった、エピソード記憶と言えるのでしょう。

あるいは、厳しい外傷性ストレスを経験した(現在形でしている)人の話を聞き、その様子に触れることで間接的(二次的)にトラウマ性を帯びた記憶として、脳に刻まれたのかもしれません。

平時、詰め込もうと何度繰り返しても忘れる一方、昔のたった一度の一瞬の出来事が刻まれ忘れられない記憶となり、容易に蘇る不思議。

そうしたひとの記憶のメカニズムはまだ解明されていない部分も多いとか。

進化の過程で出来上がったのだろうけれど、中々思い通りにいかない「記憶」との付き合い方を模索しながら、今日もまた暮らしています。