けりをつける三月

今年度もおわりますね。カウンセラーの鶴田です。

先日、某アニメシリーズ完結編を映画館で観てきました。
だいぶ昔に、セカイ系と呼ばれる物語のもとになり、社会現象にまでなったという、あのアニメです。
(以下、ネタばれ等は含みませんのでご安心を)

TVシリーズから数えて、実に四半世紀が経っているというこの作品ですが、TV放映当時、
テレ東未踏の地仙台在住の僕は、関東にいる後輩から録画したテープを送ってもらうという方法で、
その作品を視聴していました。

当時、一緒に観ていた友人が、どっぷりはまってしまい、レーザーディスクなんかも買っていました。
20年くらい前に、このアニメシリーズが一度終わった時にも、確か一緒に映画館に観に行ったように思います。
赤い海が印象的なラストシーンでしたが、「ホントにこれで終わり?」と思ったものです。

赤い海

そんな彼は、6年ほど前に亡くなってしまったので、今回、映画を見たあとに思ったのは、
「ああ、終わったなー」と「奴も観たかっただろうな」ということでした。

6年前、その友人が亡くなった際に、秋田に暮らす妹さんが荷物を引き取れない事情があって、
つい安請け合いして、荷物を引き受けてしまったのですが、遺品整理しつつ不要なものは
処分してもいいと言われていても、なかなか手がつけられずにいました。

最初の頃は、“別に困らないから”という理由をつけていましたが、そのうち“単に面倒”という
理由になりました。
2,3年経ったあたりで、重い腰を上げてみたものの、段ボール箱1つくらいを片付けただけで、
ひどく消耗していました。

さすがに、ちょっと変だな、と思って、カウンセリング勉強会なんかで、相談ネタにしてみて
“自分のモノではないので勝手に捨てられない”とか、“その部屋が故人の部屋のような気がして落ち着かない”
とか、どうやら心理的に難しいのだと気づきました。

それが、ここ数年でようやく片付けられるようになりました。
気持ちの上で、ようやく友人の死を受け入れることができたのかもしれません。

空き部屋に荷物を運びこんだ直後は、天井に届くほどの段ボール箱が、それこそ
山となっていて、けっこう途方にくれたものでしたが、今月には、ついに空き部屋といえる
くらいになったのです。

人が生きていくと、様々なタイミングで“転機”と呼ばれる出来事があります。
“転機”では、何かが終わり、何かが始まるのですが、人は新しく始めることには
目が向きますが、ちゃんと終わらせることが、なかなかできないようです。

今回、荷物の片付けを通して自分の気持ちを整理することができました。
そして、それは何かの終わりであり、きっとこれから何かが始まるのだ、と感じています。