桜が散る季節に

カウンセラーの北野です。

一週間前の夜、突然の訃報が舞い込みました。
つい数日前にLINEでやり取りをしていた友人が急逝したと言うのです。
仕事中(カウンセリングではありません)、ついスマートフォンを見てしまったばかりに知ってしまい、その後は集中できずに早退させてもらいました。
上の方からは、よほど私が動揺しているように見えたらしく、「危ないから自転車で帰らないように」と気遣ってくれました。

その後の週末は、一体何が起きたのかと共通の友人達と連絡を取り合っていましたが、どんどんと悲しみが増し、胃は重く、滲み出る涙を我慢することが、とても疲れることを久しぶりに実感しました。

その友人とは同じ臨床心理大学院で修了年が同じだったことから、修了後もお互いに切磋琢磨して学び合っている仲間でした。
歳も私とあまり変わらないくらいで、少し前まで元気に働いていましたし、
人格的にも本当に素晴らしい人で、まず浮かんだのは「こんな良い人が何故?」という言葉でした。

そんな悲しい報せの3日後、今度はなんと同じ大学院の同期が急逝したとの報せがやってきたのです。
ふいうちとはまさにこのこと。
朝、通勤中のバスで知り、頭を殴られたような気がしました。

年齢的には少し上で、体調を悪くされたことは聞いていたので、最近は疎遠になっていましたが、スクーリングではよくお昼を一緒に食べたり、修士論文ではお互いにチェックし合ったり、8日間のサンフランシスコ研修でも、沢山話をしました。

ようやく、こうして書こうという気持ちになれたものの、もちろんまだ悲しみは癒えません。

カウンセリングでは、よく今向き合いたくない気持ちは、横に置いておいたり、箱に入れておく、なんていうイメージを使ったりします。
今まさに、仕事をする時は、この悲しみを箱に入れておいてこなし、今なら大丈夫かな、という時に箱から取り出してしっかり悲しみを感じる、ということをしています。

とはいえ、SNSで常に情報にさらされている時代ゆえか、時折ふと箱が空いてしまう時があり、バスの中で涙が出てしまったりして、いかんいかん、と思う日々です。

桜が散る季節になったら、こんな日々のことをまた思い出すのかもしれません。

おふたりの冥福をお祈りいたします。

またいつか会っておしゃべりしたいです。